このくだらない日常に推しという名の花を飾ろう

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しがない大学生オタクのひとりごと

某非常勤講師の「うっせえわ論」に対する所感

久しぶりにブログを書いてみたくなったので徒然なるままに書いてみようと思います。

 

ボーッとTwitterを眺めてたら私のもとにとある記事が飛び込んできました。

gendai.ismedia.jp

 

詳しいことは記事を読んでいただければ分かるのですが、要約すると

「うっせえわはマイノリティである2020年代の若者そのものの歌であり、20代の若者が10代の若者に送る処世術の曲である」という解釈になっています。

 

曲にはいろいろな解釈があり、これも1つの解釈としてはアリなのではないかなというのが建前ですが、本音を言えば(こういう言葉はあまり使いたくないのですが)個人的には"解釈違い"かなと思うところがありますね。

 

そもそも、10代と20代を「若者」としてひとくくりにするのには無理があるのではないかというのが持論です。私は22歳(執筆当時)ですが、20歳以下の人と話していると明らかに感性が異なります。どう異なるかというと、当然のことですが20歳以下の人の方が自分にとって良いものを素直に「良い」と言えるまっすぐな感性を持っている(具体的には、「オタク」であることを公言できるような感性になっている)かなと思います。

しかし、そういう感性が持てるようになったというのは良い時代になったという証拠であり、20代が同じ感性を持てるようになったかと言われればそれは違います。

(ここで20代と大きく括ってしまうのも多少暴力性は感じますが)今の20代は多感な時期を「オタクの過渡期」として過ごしているのです。

「うっせえわ」はsyudouさんというボカロPが作曲しているということでしたが、思えば中学生の時はお昼の放送でボカロ曲を流せば「おい誰がリクエストしたんだよ〜〜www」などと笑われ、「ボカロ聴くオタク=キモい」というレッテルが貼られるような酷い時代でした(まあ民度の低さが目立つような時代もあったというのもありましたが)

また、「厨二病」なる語彙が誕生したのもこの頃であり、中学生の歪んだ自意識とボカロのテイストがマッチし数々の黒歴史を生み出したという経験が誰しもあるのではないでしょうか(例えばカゲ○ロとか)

しかし、やはり厨二病というのは「卒業」すべきものであり、現在20代の私が「うっせえわ」の歌詞を見てみると黒歴史を見ているかのようで恥ずかしくなるというのが正直な感想です。syudouさんは悪くないんだけどね……

同じように、20代の中でもどこかオタクを見下しているような感情をどうしても持ってしまう人がいるのではないでしょうか。でもいいんです。人にはそれぞれ価値観がありますからね。

 

とはいえ、「うっせえわ」の歌詞はただ単に厨二病からしかたないね〜笑と笑ってスルーするにはちょっと引っかかるものがあるな、とも思います。それが「社会人じゃ当然のルールです」という歌詞です。え、社会人??

本当に炎上覚悟でいうと、もしかしたらこの歌詞の中の人は「社会人」という立場であるにもかかわらず未だに厨二病的な感性を引きずっているのかもしれません。大人になれよ、少年……(何度も言いますがsyudouさんとAdoさんに罪はありません)

まあでもリアルな20代って精神年齢はほんまに20代なんか?高校生で止まってるんじゃないのか?って人は結構いますし……(特大ブーメラン)

 

ここまでかなりのちくちく言葉を書き連ねましたが、最後にもう一言だけ言わせてください。

個人的に、中学時代に「ボカロきっっっっっっもwwww」とか言ってた奴がYOASOBIとか聴いてるとすごくモヤモヤします。あとボカロ出身のアーティストが一過性の話題になっているのを見ると音楽が流行りのネタとして消費されているみたいで危機感を抱いています。特にテレビ屋さんが「うっせえわがTikTokで話題!」とか言っているのを見るともうJ-POPは終わりなんじゃないかとすら思えてきます。

これももしかしたら厨二病的な感性であり卒業すべきなのかもしれませんが、ごめんなさいそこだけは卒業できませんでした。

 

結局は自分も厨二病的な感性を引きずったまま大人になってしまった残念な「若者」なのかもしれませんね。